わたしたちのまち(佐伯区)


昭和30年(1955)五日市町 航空写真
中央付近の楕円は競馬場です。
 縄文時代後期頃より、五日市平野を取りまく山
麓一帯に人が住み始め、飛鳥時代には、極楽寺
山麓に多くの人々が農耕に従事していた。三宅
には屯倉(みやけ)も置かれた。
 平安時代、このあたり一帯は厳島神社の社領
となっていた。室町時代末期に五日市に港が開
かれ、商取引きも盛んになされ、このあたりを五
日市と呼ぶようになった。
 明治維新の頃には、区内に21の小村があっ
た。明治22年(1889)町村制がひかれたとき、
このうち五日市村、海老塩浜村、皆賀村が 合
併し五海市村と命名された。明治44年(1911)
町制施行のとき、「海」の1字が変更 され旧五
日市町が誕生した。
 昭和30年(1955)、旧五日市町を始め、こ れまでに幾度か合併してできていた観音村、 八幡村、石内村、河内村の五か町村が新しく 合併し、新五日市町はスタートした。
 昭和60年(1985)五日市町は広島市と合併
し、広島市佐伯区となった。
(生徒手帳3ページより)
  左に流れるのは三筋川。学区に流れる倉重
川・屋代川などを集めて瀬戸内海へそそぎます。
 右に流れるのは八幡川。50種を超える野鳥
の楽園です。
 区民の水がめでもあります。
平成10年(1998)佐伯区 航空写真
手前は五日市港です。
平成13年8月10日には「広島はつかいち大橋」が開通しました。